宣教開始の年はシンプソンが来日した1893年(49歳の時)でした。
シンプソンの宣教方針は「未伝地」で「一般大衆」に福音を伝えることでした。彼は、すでに他教派の宣教団体によって主要都市において、裕福な人たちに向けて伝道されている現状から、西日本の未伝地、一般大衆への開拓伝道を指令しました。1895年三次に本部が設置され、広島県に福音の種が蒔かれこととなります。
名称の変遷として、戦前は日本アライアンス教会(1914)→日本協同基督教会(1932)となり、戦中は日本基督教団・第七部(1941)という形で統合され、戦後、日本アライアンス教団(1951)となり現在に至っています。